慰霊の日

はいさい、ぐすーよー、ちゅーがなびら!(みなさん、こんにちは)

めーなちあちさんが、がんじゅーやみせーみ?
(毎日、暑いですが、お元気に過ごされていますか?)

ちゅーや、いくさの話を少しさせてもらおうと思います。
(今日は戦争の話を~)

ゆたしく、うねげーさびら。
(よろしく、お願いいたします)



唐突に方言で始めてみましが、驚かせてしまったかもしれません。
私が全然喋れないことに改めてビックリもしましたがzz

プロフには特に書いてありませんが、
ブログの色でお分かりになる通り、
私は、沖縄生まれで沖縄育ちのおっさんです。

筋道立てて話すことが苦手なので、いつも通り徒然書いてみようと思います。



RO内でも伏せてもいないので、
沖縄の基地問題について、ごくたまに話題が上がることがあります。

リアルでも、沖縄を好いてくださって
県外から移住されている方も少なくないので、話が出たり。


どうお話したらいいのかなあ。

「沖縄は基地があることで国からたくさんお金ももらっているし、
 県外移設を求めるのは少数派なんでしょ?」

「ぶっちゃけ、これだけ援助はもらっておきながら、
 基地はノーとか、都合いいこといい過ぎじゃない?」

「別に日常困ることもないでしょ」


まあ、そんな感じの内容です。


私は米軍基地は100パーセント県外移設、
もしくは撤去をしてほしいと思っている人間です。
また、それが不可能であることも知っています。
それでも、基地容認の知事や町長を選ぶことはしません。
容認を支持するひとを非難する気持ちもありません。


私のこの姿勢の根底には、
今は亡きの祖父母とのやりとりがあります。

子供のころに、この時期、学校から宿題が出て、
戦争を体験されている家族に話を聞いてくること、というものがありました。

私の両親も戦争体験者ではないために、
祖父母宅へ遊びに行って、聞いてみたんですよね。

「平和についての勉強で、沖縄戦の話を聞かせてほしい」と。

おばあちゃんは何かを話そうと口を震わせ、
結局、何も教えてはくれませんでした。
「何も思い出したくないさー」と。

私は当時、成績だけは悪くない頭でっかちの子供だったので、
どうして勉強なのに教えてくれないのか、
辛くても話し継いでいかなくちゃならないものじゃないのかと、
おばあちゃんの気持ちが全く理解できていませんでした。

歳を重ね、二十歳を越えて、祖父母が亡くなってしまったあと、
「何も話したくない」といった祖母のことを思い出しました。
自分はどれだけ酷い問いで彼女を傷つけてしまったんだろう。

言葉にできないほどに、戦争という思い出は傷になっていたのだと。
「無言」から伝わるものがあった。
目の前で友達が死に、離れ離れになって会えないままの家族と。

時間は経ってしまったけれど、このなんでもない些細な経験は、
私にとって大きなものになりました。

言葉にできない痛みがある。
でも、言葉にしなければ、言葉にしたとしても、伝わらない痛みがある。
また、「無言」が伝えた痛みもある。


私の両親も方言を聞き取ることはできますが、
日常会話として話すことは不自由です。
よって、私も独特の訛りはあるでしょうが、話すことができません。
祖父母も私に向かって標準語で喋ってくれていました。

戦時中、方言を喋る人間はスパイであると、
日本兵からお触れが出て、実際に殺されてしまった人間もいる所為で、
戦争が終わってからも、方言が子供たちに継承されることなく、
話せる人間が激減しました。

最近では見直され、学生や社会人になったあとでも、
方言講座などを受ける機会はありますけどね。

また、現在も、戦時中にばらまかれ、
不発弾となった爆弾が何千トンも残っており、不発弾処理が日常的にあります。
その処理や、未処理の弾で、けがをし亡くなったひともいる。
沖縄は完全に平和とも戦後とも云えない歴史を歩んできました。


もう祖父母は、父母の両親ともにおりませんが、
せめて、戦争を体験し、今も生きてらっしゃる方のために、
基地のない沖縄が実現してほしい。


理想論を振りかざす被害者意識ではないのです。

世界的にも、沖縄に基地があることで、
けん制になっている事実も存じています。
日本がアメリカの機嫌を損ねたくないのも知っている。

現在、沖縄の生活が上手くいっている背景に、
多額の税金の援助(交付金)があることにも感謝しています。

ですが、沖縄は自分から手をあげて、
基地負担を担ってきたわけではないのです。

我々がノーということで、
他都道府県に肩代わりさせてしまう事実も複雑な思いではあっても。

今、戦闘機の轟音で過去がフラッシュバックしたり、
改善される様子のないアメリカ軍による事件で
新たにこころを痛めているひとがいる。

本当につらいひとは、恐らくテレビのニュースには映っていない。

祖母のことを思い出すたびに、そんな気持ちで胸がつまるのです。



沖縄の政治や選挙、報道も誇張が多く、正しくない部分も多いでしょう。
私も「オール沖縄(県民総意」というスローガンが好きではありません。

基地を県内移設でもよいと思っているひともいるし、
私の世代で基地があることに実質的な迷惑を感じているひとが少数であることも事実です。


また、私のギルメンで、沖縄在住の子ではありませんが、
沖縄の自衛隊に勤めている家族を持つ子から、
「米軍を退け、自衛隊がその仕事を担うことになれば、
 自分の家族の危険度が強くなることもつらいのです」
そう云われたこともありました。

自衛隊を自分の意志で選んだ以上、
死を厭うのは正しくないとはわかっていてもと、その子はいいました。

その辛さも痛いほど伝わってきました。

簡単な問題でないことは分かっています。
けれど、だから我慢をするという問題でもないんですよね。


セカイノオワリのドラゴンナイトという曲を思い出します。

誰しもの理由がある、私の願いが誰かを傷つけることがある。




例え世界のために必要な犠牲であっても、
黙っていたら伝わらない、大切な記憶がある。悲しみがある。

その声が政府に、この戦後70年を超えた今も届くことがない事実に、
県民として怒りや悲しみはありますが、
県外のひとや、アメリカ人を嫌っているわけではもちろんありません。

私がこのような話を綴るのは、
解決してほしいという気持ちからではなく、
沖縄がなぜ、実現不可能な基地撤去を求め続けるのか。
その気持ちを周りの友達や、ここを読んでくださっている方に
少しでも知ってもらえる機会になればという気持ちからです。
何かをしてもらいたいというわけでももちろんないです。

距離はあっても、日本人の一人として、
他の方と話すことに壁を感じることはありません。
ただ一つ、基地問題については、
本土に行ってテレビを見る機会があったときに感じますが、
情報が遮断されていて、
なかなかこちらの気持ちをわかってもらえていないんだなあと
感じることが多いです。

実現不可能な基地撤去を求めることは、ただの駄々ではなく、
そこに住むものの悲しみを伝えたいからでもあるのです。

言葉が下手くそで全然うまく伝えられていないだろうともどかしいですが。

にふぇーでーびる(ありがとうございます)

最後まで読んでくださった貴方に、こころからの感謝をお伝えします。


そして、どうかこの悲しみが繰り返されることがないよう。
平和を祈る気持ちの尊さを、忘れずにいたいですね。

 
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